るんるんのプロ野球の記録の記憶

るんるんです。プロ野球のニッチな記録の記憶に残った出来事を紹介します。他にも子育てや節約についても紹介します。

ソフトバンクホークス鉄壁のリリーフの歴史 2004年~2008年まで

パ・リーグを独走して優勝したソフトバンクホークスですが、その原動力となったのが充実したリリーフピッチャー。派手な打線が注目されますが、優勝の裏では鉄壁のリリーフピッチャー達が活躍しています。

そんなソフトバンクホークスのリリーフピッチャーの歴史を振り返ってみました。

2004年

ソフトバンクホークス元年。篠原と岡本が出遅れ、前年からの不在となっていた抑えに新人の三瀬幸司選手を抜擢。28セーブを獲得して新人王とセーブ王のダブル受賞を果たしました。

リリーフピッチャーで最多登板は右ピッチャーは巨人から移籍して3年目の佐藤誠選手、左ピッチャーは松信康選手でした。

前年ドラフト一位で入団した馬原選手はこのころは先発で起用されていましたが、わずか3勝でした。

抑え 三瀬幸司

中継ぎ 佐藤誠、松

鉄壁度 ★

2005年

三瀬幸司選手が前年から抑えとして起用されましたが、安定感にかける投球内容でした。シーズン途中から先発で結果を残せなかったドラフト1位の馬原孝浩選手が抑えにに起用され42試合登板の22セーブを記録しました。

他は吉武真太郎選手が右の中継ぎ一番手で61試合に登板、8試合連続ホールドを記録してオールスターに選ばれるなど活躍しました。しかしクライマックスシリーズでは痛恨の逆転二塁打里崎智也選手に打たれて日本シリーズ進出を逃すことになりました。あの一打はソフトバンクホークスのファンのトラウマとなっています。

左の中継ぎには寺原隼人選手と同期入団の神内靖選手が46試合登板して活躍しました。

抑え 三瀬幸司馬原孝浩

中継ぎ 吉武真太郎神内靖

鉄壁度  ★★

2006年

抑えは前年から抜擢された馬原孝浩選手が努めました。シーズン通して安定して29セーブを記録しました。

中継ぎは前年の2005年社会人・大学生ドラフトで3位入団した藤岡好明選手が62試合と当時のプロ野球パシフィック・リーグの新人の最多登板記録を更新する活躍を見せました。また前年からの中継ぎエースの吉武真太郎選手が60試合登板、20ホールドと活躍しました。しかしシーズンオフに巨人からFAした小久保裕紀選手の人的補償で巨人に移籍することになりました。シーズン60試合フルで活躍した中継ぎ投手が人的補償から外れていたことに当時は驚きがありました。

他に左は三瀬幸司選手と篠原貴行選手の二枚でしのいでいました。

抑え 馬原孝浩

中継ぎ 吉武真太郎三瀬幸司藤岡好明

鉄壁度  ★★

2007年

抑えとして3年目のシーズンを迎えた馬原孝浩選手が38セーブをあげて初のセーブ王獲得。WHIPも1.01と圧巻の数字を残しました。

中継ぎは2年目の藤岡好明選手は前年の活躍のようにはいかず、WHIP1.7と不調でした。変わって2年目の柳瀬明宏選手が右の中継ぎとして最多登板を記録しました。この年は中継ぎに怪我が相次ぎ、水田章雄選手が中継ぎエースとして防御率2.25、45試合登板の好成績を残しました。

また左の中継ぎはメジャーから加入したニコースキー選手が活躍しました。

 

抑え 馬原孝浩

中継ぎ 水田章雄柳瀬明宏ニコースキー

鉄壁度  ★

 2008年

この年はソフトバンクホークスの暗黒時代です。王監督勇退シーズンにソフトバンクホークス初の最下位。鉄壁のピッチャー陣もこの年は最低でした。抑えとして4年目のシーズンを迎えた馬原孝浩選手が怪我で出遅れ7月末に復帰。復帰後も安定せず9月7日のロッテ戦で4点リードの9回に登板して、橋本将選手に満塁ホームランを浴びて追いつかれるなど散々でした。11セーブの成績で3年連続20セーブがこの年で途切れました。

中継ぎもこの年は最悪で防御率4.11の三瀬幸司が中継ぎエースとして活躍するという悲惨な状況でした。

のちに先発で活躍するホールトン選手がセーブを6セーブあげていたり、セーブ記録した選手が7人いるなど抑えが安定していなかった状況が伺えます。

抑え 色々

中継ぎ 三瀬幸司柳瀬明宏ニコースキー久米勇紀

鉄壁度  無

馬原孝浩が支えるリリーフ陣

馬原孝浩選手が抑えに固定されていたのが、一番印象的ですね。